この絵は学校の屋上から見た私の町の絵です。住宅地になってしまいました。町が発展するのはいいことですが、住宅がふえ、町が発展することは、ほんとうにたいせつなことです。とうにさびしいことですが、町の発展にたいせつです。郵便局や、けいさつ所などがたちならんだら昔はもも、なし、ぶどうなどをつくった畑は造成されて自然がうしなわれるのは、さびしいことです。そのため山、畑、田などが少なくなるのは、ほん赤、青色などの屋根の住宅がたくさんたちならびどんなに私の町は、発展することでしょうか。
つゆのころの新芽が出たころ、雨がいまにもふりそうなころ。農家ではすでに田植をしたあと、どんよるくもった日、どんよりしている草木、むこうの方には山を切り開いて新興住宅をたてている。山の草木も、林の松も、なし畑の木も、みんな新芽を出している。なしの実がなり、新聞紙でつつんでいる。害虫がつかないようにしているのだろう。河内長野は山々にかこまれている。この美しいけしき。
この神社にはおもしろいところがある。かべの土がたくさんくずれている。それにまん中のとりいの木はいまにもおれそうな感じがする。そのよこの石どうろうには緑色のこけがついている。うしろの木は曲がって、あまり葉のないものもある。これらのかべ、とりい、とうろう、木や葉などは古くからあったのに、最近作ったようなものもある。やはり絵を書くのなら古いものを書いた方がいいと思う。この絵は主にとりいじゃなくて、うしろの葉や木を書いた絵で、葉には散々の色がある。木は曲がっておもしろい形をしたものがあるので書きにくい。